8月29日(月) ユカリューシャ

大変ご無沙汰していました。朝晩、大分過ごしやすくなりましたね。
私はのんびり過ごした夏休みも終わり、今日から次の舞台へ向けて始動です。

今回は、『ユカリューシャ特集』をお送りします。

我が東京バレエ団のトッププリマ、斎藤友佳理さんの、芸術選奨文部科学大臣賞受賞を祝う公演が、8月14日五反田簡易保険ホールにて行われました。

『眠れる森の美女』公演の直前に、5つもの作品をリハーサルするのは大変な作業でした。しかしその甲斐あって、意味のある、やりがいのある公演になったと思います。それは友佳理ちゃんの団員への細心の気配りと、みんなに彼女を応援する気持ちがあったからだと思います。

私は、吉岡美佳・小出領子・上野水香と4人で“パ・ド・カトル”を踊りました。「幸江さん、今年のラッキーカラーはピンクなんじゃない?」などど冷やかされながらも、今までの自分の動きとは違う質のものを踊る事が出来て、とても楽しく、発見の連続でした。これからも、こんなゆったりした踊りもやりたいな〜♪なんて…。でもやっぱり翌日からのカラボスは踊りやすかった!
他に、後輩達で踊られた“スプリング・アンド・フォール”では、指導する機会も与えられました。後藤晴雄くんと、男女で踊る部分を担当し、カウントや動きを後輩に伝えたんだけど、これがなかなか大変。すぐに出来る人、なかなかカウントがつかめない人、ニュアンスを掴むのが上手い人、苦手な人…人はそれぞれ良いところが違いますよね。そこを忍耐を持って、しかし時には強引に先へ進まなければならない時もあり、後輩に作品を伝えていく難しさを改めて感じました。みんな本番では楽しんで踊ってくれたと思うけど、11月のギエムとの公演ではさらに作品を深めていって欲しいです。

では、友佳理ちゃんと私の18年間の思い出話しを少々。。。

彼女は私にとって、共に東京バレエ団の歴史を作ってきた大切な仲間であり、数少ない尊敬出来る友人の一人です。レッスンやリハーサルへの真摯な取り組み方、楽屋での過ごし方は見ていて学ぶものが多かった。メイク方法や髪の結い方、衣装の扱い方などは直接教えてもらいました。そして何よりも、役を深く理解しようとする探究心を彼女から学びました。

友佳理ちゃんが入団してきたのは、私の2年後。でも、私より2つ上のクラスに入ったので、後輩なんだけど、先輩。まだコール・ド・バレエ(群舞)にすらキャスティングされない私とは、全く違った立場の人でした。でも、実力を鼻にかけたような態度は一切なく、いつも優しげな笑顔でふんわりとした空気をまとい、本当に妖精のようでした。

私がソリストを踊るようになると、同い年ということもあって、気楽に言葉を交わすようになりました。例えばメイクの仕方なら、地塗りには3つの色のファンデーションを自分で調合して塗ることや、付けまつ毛をつける角度を教えてくれたり、自分に合ったポアントの選び方も相談にのってくれました。本番の髪型を作るに至っては、時間を裂いて、私の髪を直接結ってくれる事もありました!ほとんど舞台経験がないままバレエ団に入った私にとって、彼女は憧れで「友佳理ちゃんみたいに踊れたらな…」と思っていたんです。

そして1996年の『くるみ割り人形』公演。怪我で途中降板した彼女のあとを、私が引き続き踊るというアクシデントがありました。
この日私は、1幕だけの出演でした。いつもなら出番が終わったら衣装を脱ぎ、髪を解いてから舞台袖に見にいくのに、その日に限って衣装だけを脱ぎ、ヘアもメイクもそのままの状態で、舞台袖に居たのです。そして、舞台上で起きた出来事を理解する間もなく、何とか舞台袖に入った友佳理ちゃんのもとへ走り寄り、ただただ必死に彼女を抱きしめていました。少しでも痛みが私に移るようにと願いながら。
そして2幕から、一度もリハーサルをしたことがないにも関わらず、私がクララを演じることになったのです。友佳理ちゃんを観にきたお客様から、ブーイングが出ても仕方ないと思っていたけれど、幕が開いた時、客席が一瞬静まり返ったかと思うと、文字通り「温かい拍手」が、フワーっと湧き上がったのです(それは今までに聞いたことのない、本当に心のこもった温かい音色の拍手でした)。
クララの衣装に着替え、再びポアントに足を入れ、司朗先生に手を繋いで頂きながら、楽屋から舞台へと移動しました。当然、怖かった。けれど不思議と心は落ち着いていました。それは友佳理ちゃんがそばに居てくれている様な、そんな心強さがあったからです。そして何とかその場を務めた私は、カーテンコールを受けながら、1分でも早く友佳理ちゃんに会いたくなっていました。

翌日、3日後の公演の為に、クララの練習をする私の元へ、彼女が松葉杖をついて現れた時、二人はただ黙って抱き合い、そしてたくさん泣きました。これまでにその時の気持ちを話した事はないけれど、多分…同じような悔しさと不安を、分け合っていたのではないでしょうか。
それから約一年半後、彼女の復帰公演『ジゼル』の日、私はこう声をかけました。「友佳理ちゃん、あの日と同じホールの、同じ下手から再スタートが出来るね!頑張ろうね♪」と。あの日の『ジゼル』は、バレエ団全員が彼女の復帰を心から喜んだのです。

結婚、出産、大怪我と、彼女は人の何倍もの苦しみと喜びを味わってきたと思います。でも、持ち前の真面目さと、真にバレエを愛する気持ちで乗り越え、さらにその試練をも糧に出来る強さがある。そして周りの人たちに対して、決して感謝の気持ちを忘れない温かい心の持ち主です。そんな彼女だからこそ、人はみんな彼女を慕い、応援するのだと思います。
私が友佳理ちゃんの踊りで好きなのは、「欲」が見えないところ。足を人より高く上げたい、バランスを長くとりたいetc…。私はそういう思いが前面に出るダンサーが苦手です。彼女はそのような表面的な事ではなく、心があってこそ足を上げ、バランスをとるからポーズが本当に美しいのだと思います。そしてだからこそ、作品に引き込まれるのでしょうね。

こからまたちょっと日本を離れる彼女に、メッセージをもらいましたのでご紹介します。(以下、友佳理ちゃんの言葉です)

「幸江ちゃんから、ひとこと言葉が欲しいと言われた時、一番はじめに頭に浮かんだのは、1996年の『くるみ割り人形』の公演のことでした。舞台袖で激痛と戦いながらも、幸江ちゃんが抱きしめていてくれたのは、その時も分かっていました。病院に運ばれ、舞台を最後まで見届けてからその足でお見舞いに来てくれた方に、私はまず「舞台はどうだった?」と聞きました。すると目に涙を浮かべて「幸江ちゃんがしっかりと務めてくれたよ。客席と舞台がひとつになった、素晴らしい舞台だった」と知らせてくれた時、幸江ちゃんに対する感謝の気持ちで、胸がいっぱいになりました。
だからこの間の公演(ユカリューシャ)の時。最後のカーテンコールで幸江ちゃんの手を握った時は「こうしたかった!」って思った。
その日は『くるみ』の時に使った同じ楽屋だったんだけど、ソファに座ったら、何故かふとあの日の楽屋の風景が鮮明に思い出されたの。ゴミ箱の位置から、テーブルの上にあった父からのうなぎのお弁当。楽屋に来て事務的な話しをした、以前NBSで働いていた方の顔。それらを思い出しながら、これが私の生きてきた時間、「これが答えだ」って思ったの。
他にも思い出話はたくさんあるけど、私も幸江ちゃんから学ぶものはたくさんあって、今回の『眠り』のリハーサルを見ていて感じたんだけど、ルグリさんがマチューに対していたのと同じように、妥協することなく後輩に役を伝えようとする姿は、本当に素晴らしいと思う。人にも厳しく出来るのは、自分に対して本当に厳しいからだと思う。そんな姿に、救われる思いがした。今回、私の事を取り上げてくれて、どうもありがとう。」

友佳理ちゃんの話を聞いていて、カーテンコールでの彼女の顔を思い出しました。公演をやり遂げた満足感でも、踊りきった喜びでもなく、全てを出し切った本物の表現者・芸術家の顔が、そこにはありました。あの日あそこに居るべきだったのは、他の誰でもなく斎藤友佳理だったんですね。

友佳理ちゃん、本当におめでとう。
お互いこれまでと同じように、毎回の舞台を大切に踊っていこうね!
そしてこれからも、様々な形でバレエ団と関わり、みんなを(私も!)導いていって下さい。
そして貴女はきっと、いつまでも私の尊敬出来る友人でいてくれることでしょう。。。

みなさんも、これからの友佳理ちゃんにさらに期待して、いつまでもあたたかく見守ってあげて下さい。

                                      幸江より